ヤフー引用
異性と恋愛したくてもできない人は何をすればいいか。精神科医の和田秀樹さんは「いくら相手のことが好きでも『生理的に嫌』と思われたら振り向かせるのは難しい。恋愛は確率論をベースにするべきだ。『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』という日本古来の諺にあるように、異性と出会う機会を100回持てば、1回くらいはヒットが出る」という――。
■好きな相手が振り向いていくれなかったらどうするか
心理学者のアドラーも、ハリー・スタック・サリヴァンも、悩みについてこんなことをいっています。
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
そこまで断言することはできないかもしれませんが、私も人間関係の悩みは深いものになりやすいし、ともすれば、病的なものにもなり得ると考えています。
その理由は明白です。対人関係の悩みは相手があるため、自分の思いや力、行動だけではどうにもならないところがあり、非常に解決が難しいからです。
では、まずはそんな対人関係の悩みの中でも小さくないウエイトを占める恋愛について取り扱ってみましょう。
「好きな人がいるのに、相手はちっともこちらを振り向いてくれない」
これは、ありがちな悩みです。相手を振り向かせるためのアプローチのやり方はいくつもありますから、いわゆる、手を変え品を変えて何度もトライするのはいい。
しかし、その前に大前提ともいうべきものがあることを忘れないでください。
男女を問わず、生理的に受けつけないという感じを持たれていたら、それを変えるのは、まず不可能だというのがそれです。
たとえば、経済的に豊かになったら、よりかっこよく、美しくなったら、社会的なステータスを築いたら……振り向いてくれなかった相手が振り向いてくれることはあるでしょう。
また、そうなる手立てもある。経済的なことでいえば、死にものぐるいで働くとか、貯蓄に励むとか。美しさでいえば、センスを磨くとか、整形するとか。ステータスでいえば、起業して一国一城の主(あるじ)になるとか。
それらが相手を振り向かせる可能性を広げることは確かです。
しかし、「生理的に嫌」という思いの前では、いかにも無力なのも事実。
なぜなら、経済的に豊かな人も、かっこいい人も、ステータスのある人も、ほかにいっぱいいるからです。
■「この人しかいない」というのは思い込み!
人を好きになると、「この人しかいない」という気持ちになるものですし、一途(いちず)な思いはすばらしいのですが、そのピンポイントで思いを寄せる相手が、不幸にして、こちらを生理的に受けつけないという可能性はあり得ます。
そこで一途な思いを通せば、ストーカーととられる危険は大です。
冷静に考えてみれば、「この人しかいない」なんてことはないのです。いま、思いを寄せている人と同レベルの相手はいくらでもいますし、その中にこちらに好意を持ってくれる人がいないはずがないのです。
見切りどきを誤ってはいけません。
「あれっ、もしかして、生理的に嫌われている?」といった雰囲気を察知したら、早々に目を別の人に転じることです。
永遠に振り向いてくれない相手に執着して悩むのは愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)。それでストーカーの烙印(らくいん)を押されることにでもなったら、人生、取り返しのつかないことにもなる。
「好きだけれど、ここは思いを断ち切って、ほかの人を探そう!」
そう、それを賢い悩み方というのです。
■恋愛は確率論で考える
もう少し、恋愛における人間関係の話を続けましょう。
「ほかの人探し」をするうえで押さえておいてほしいポイントがあります。確率論をベースにするというのがそれです。
ここで質問です。恋人をゲットするもっとも確率の高い方策は何でしょうか。
見かけ、内面ともに自分を高めるというのは、大切でオーソドックスな方策とはいえますが、それにもまさる高確率の方策があるのです。
答えは、みなさんが知っている日本古来のことわざにあります。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」
周囲の誰もが認めるイケメン、あるいは美人であっても、異性と出会う場所にいっさい近づかなければ、恋人はできません。
イケメン、美人には黙っていても異性に言い寄られるというアドバンテージがありそうですが、それも、出会う場所に臨み、出会う機会を持ってのことでしょう。
何事においても成功確率を高める一番有効な手段は、このことわざのごとく、打数を増やすということなのです。
イケメン、美人ならずとも、100回も打席に立てば、つまり、積極的に異性と出会う機会を数多く持てば、1回くらいは打ったボールがヒットゾーンに飛ぶ、すなわち、こちらに好感を持ってくれる異性と遭遇することになるものです。
■自分を高めるより、出会いの機会を増やす
こんなことをいう人がいます。世界中を旅していると、1カ国くらい「おお、なんというイケメン(美人)!」という熱いまなざしを自分に向けてくれる人が大勢いる国があるというのです。
国によって美意識、美的感覚はさまざま、イケメン、美人の定義もいろいろだということですね。
それは人についてもいえることでしょう。これにもピッタリのことわざがあります。
「蓼(たで)食う虫も好き好き」
仮に容姿、性格、境遇に“難”があったとしても、自分を好きになってくれる人がいないはずはないのです。
“もの好きな虫”に出会うための、一番効果のある方法は、出会いの機会を増やすことです。このことに異論を唱える人はいないでしょう。
しかも、もっともラクで、手っ取り早いのがそれなのです。自分を高めるために努力するのがいいのは確かですが、これは一朝一夕(いっちょういっせき)にはいきません。一方、出会いの機会を増やすことは、現在の素のままの自分でできますし、功を奏したら、素のままの自分を好きになってくれる人と出会えるのです。
たとえば、口が悪くてなかなか恋人ができない人が、それを改めるのはなかなかに大変です。
しかし、異性の中には小気味よい毒舌が好きだという人もいる。出会いのチャンスを増やして、そんな人を見つけるほうが、身についてしまっている口の悪さを改善するより、はるかにラクなのではありませんか?
確率論からいっても、断然、そちらに分があると思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。
■恋愛は満点ではなく、合格点でよしとする
異性と出会い、付き合うようになって、いい関係になっても、それがずっと続くとはかぎりません。ですから、「恋人同士の間柄になっても、どういうわけか長続きしない」といった悩みを抱えている人もいるかもしれません。
そのタイプには共通項があるような気がします。お互いに心から相手を思い合い、いい関係にあるときは、その熱い思いが冷めることはない、という気がするものです。
しかし、人の心は移ろいやすいのです。熱く燃え上がることがあるのと同様、“そのとき”が嘘(うそ)のように気持ちが冷めてしまうこともあるわけです。恋愛が長続きしない人は、それがわかっていない、もしくは、それを受け容れがたいところがあるのではないでしょうか。
お互いの思いが最高潮にあるときを“満点”とすれば、常に相手にその満点を求めてしまう。しかし、それは無理な話です。最高潮に達した熱い思いは、早さの違いこそあれ、冷めてくるのが必然なのです。それは行動にもあらわれます。
毎日くれていた電話の回数がだんだん減ってきた。かゆいところに手が届くほどだった細やかな心遣いがあまり見られなくなった。やさしさが薄らいできた。デートの時間に遅刻するようになった……。
すべて満点からの減点材料ですが、恋愛の中ではどれもが「ある、ある」です。
つまり、そうした必ず起こる変化を理解せず、要求水準がいつまでも満点にあるから、不満や不安が湧いてきて、悩まされることにもなるのです。
減点があってしかるべし、と受けとめていれば、相手をもっと寛容に受け容れられます。
ロマンチックであるはずの恋愛を語るには、あまり適切な表現ではないかもしれませんが、「まあ、こんなものだろう」「この程度の減点だったら、まだまだいいほうだよね」といった、“合格点でOK”とする受けとめ方がいいさじ加減といえます。
それはそのまま恋愛を長続きさせるコツでもあるのです。
■見合い結婚の離婚率が低い理由
結婚についても同じことがいえます。
恋愛結婚と見合い結婚を比べると、離婚率は見合い結婚のほうがはるかに低い。前者は沸点までいった熱い思いを持って結婚生活に入るのに対して、後者はそこまでの熱さはありません。
現実の結婚生活は似たようなものですから、温度差は恋愛結婚のほうが大きいわけです。その温度差を受け容れられなくて、戸惑い、悩むことになり、恋愛結婚組は離婚する確率が高くなるのです。
満点を求めて悩むか、合格点を受け容れて相手との関係を保つか。恋愛(結婚)をしている当事者にはその選択が迫られます。