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モーリー・ロバートソンが「日本人のクイズ番組好き」を危険視するワケ日本人は変わりすぎたSNS依存で

 

モーリー・ロバートソンが「日本人のクイズ番組好き」を危険視するワケ日本人は変わりすぎたSNS依存で

後編から

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/89e473f438be69fb70b7026dadfd6db4d3ccc6b1?page=1

↑のURLから見れましたら

本家を見たほうがいいです、そのうちヤフーなので消されてしまうと思い、ここに記載しましたので

 

 

 

こうして陰謀論者が増えていく…モーリー・ロバートソンが「日本人のクイズ番組好き」を危険視するワケ


インタビューに応じるモーリー・ロバートソンさん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

 

陰謀論やフェイクニュースを見分けるには、どうすればいいのか。国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんは「世の中は答えのないことばかり。それなのに、日本ではクイズ番組のように『正解』を知りたがる人が多い。もっと考えることを心がけたほうがいい」という――。(後編/全2回)。

 

【写真】ハーバード大学入学時のモーリー・ロバートソンさん。

 

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■「優等生」ほど陰謀論にハマりやすい

 

 (前編から続く)

 ――前回のインタビューでは、モーリー・ロバートソンさんの2つのツイートへの反応から、紋切り型の発想から逃れられない日本のスタイル、SNSで拡散するポピュリズムの特殊性をうかがいました。

 

 今のポピュリズムは1920年代のアメリカの黄禍論のような排外主義のテンプレートを持ちながら、かなり流動的で「感染力」も強い。薄く広く広がっていて「雲海」のような状態なんだけれど、自分の居心地が悪くなったものに対して向かっていってしまう。アメリカのQアノンのような陰謀論へのステッピング・ストーン(踏み石)なんですよ。

 

 ――そういう「雲海」に自分がならないためにどうすればいいのでしょうか。

 

 ある程度の知的な体力を持つということだと思います。それがあれば、自分が信じていたものを手放しても恐怖心は起きないんですよ。

 

 今まで親や学校の先生の言うことや、報道などを議論せずに丸呑みしていた人ほど、ひとつ疑い始めると免疫がないから「全部、嘘だったんだ」と陰謀論にいきやすくなります。

 

 でも「全部、嘘だった」というだけでなく、そこに矛盾を指摘して、より良い解決方法を提案できなきゃダメなんですよ。そこに「知的な体力=考える力」が必要になってくる。教育の在り方でもあるんですけれどね。

 

■ハーバードの授業ではまったく歯が立たなかった

 

 ――「教育の在り方」ですか。

 

 そうですね、僕が中学、高校を日本とアメリカで1、2年ずつ過ごした経験をお話ししますね。

 

 日本の中学からアメリカに転校したとき、向こうの学校で、ケプラーやガリレオの歴史みたいなことをさんざんやった時間があったんですね。我々はその人たちがつくった理論の後に生きているけども、その前になんでそういうことを思いついたのか、その当時の常識と彼らはどう戦ったかみたいのを授業でやっていた。

 

 僕は正直、「なんでこんなこと延々とやっているんだ。日本の学校みたいに早く練習問題をやれよ。アメリカ人はバカなのか」って思ったんです。

 

 実際に入試問題のレベルと比べると、東大の2次試験みたいな問題はひとつもない、アメリカの入試問題はレベルが低いんです。当時、東大に合格した人ならSAT(Scholastic Aptitude Test、大学適性試験)は満点を取れたんじゃないかな。それで僕は「なんだ、ハーバードもちょろいじゃん」と思っていたら、講義が始まって1学期で燃え尽きました。

 

 ――どういうことですか。

 

 議論ずくめの軍事教練、ブートキャンプのような授業だったんです。僕からすればモタモタしているように見えた彼らの中学・高校時代の授業は、議論の作法を学ぶためものだった。僕は議論をする能力が全くなかったので、歯がたちませんでした。

 

 

■「正解がない」可能性が排除された世界

 

 ――どんな議論なんですか。

 

 答えがない問題をわざわざ選んでディベートが始まるんですよ。

 

 死刑制度はありかなしか。女性を軍人にすることは倫理上ありかなしか。中絶問題はどうか、進化論を否定する人に言論の自由はあるか、とか。

 

 日本だとすでに答えがあること速く正確にたどりつく練習ばかりしていました。たとえば受験だったら、この問題集、模擬試験とかって定型がありますよね。定型しか練習していない者は議論を通して考え抜く、ということができなかった。そういう谷底に放り込んで、自分の力で上がってこい、というのがハーバードの1年目1学期でした。

 

 あともう1つ、これもちょっとついて行けなかったんだけど、ものすごい量の資料や書籍を読んだ上でないと、議論が組み立てられないように作られているんですね。結局日本では、正解と不正解がはっきりした問題を解くチャンピオンになる競争だけをしている。世の中の問題には正解・不正解が必ずあるとわけじゃないということを、実は最初から排除されていたんです。

 

■「東大王」と「論破王」は表裏一体

 

――「議論」といえば、日本では「論破王」が人気ですね。

 

 論破王の前に、「東大王」があると思います。2つは鏡の裏表ですね。

 

 クイズの番組って、ほんとにトリビアとかの正解の早さ。知っているか、知らないかというゼロイチ判定。ボタンを人より早く押せるかとか。

 

 間違った答えの中に次の正解の種があったかもしれないという出題の仕方じゃないんですよ。だから非常に非科学的なのね。視聴者も「東大生なのにそんなこともわからないのか」って、溜飲を下げたりする。

 

 「家康の天下平定の年号言えないの?  それでよく理工博士だな」なんて言って優越感を抱くようにテレビの番組が作られているんですよね。こうしたクイズ番組が、ゼロイチ判定を求める人たちを育てちゃった。

 

 でもこの世の中、ゼロかイチか、答えがある問題ばかりじゃない。こうした現実が押し寄せてきて、でも、そういう人たちをすっきりさせられる答えをテレビも持っていない。そうなったときに出てきたのがネットの論破王だと思います。

 

 

■「五線譜に乗らない生き方」を現代音楽から学んだ

 

 ――ツイートでは「複雑な状況を単純化して本質を掴むという方法論」と表現されていますね。

 

英語に「book smart」、「street smart」という言葉があります。book smartは学校の中だけでお勉強した人で、純粋培養で、非常に見ている世界が小さいまま、トンネルの中をまっすぐ進んできた人たち。street smartとは、不良やチンピラとつき合いがって、あそこらへんは行っちゃ危ないとか、体感で、身体で学んできた人たちですね。ほんとうのバカなだけの不良はヤクザになるしかないですが、そうはならなかった人たち。両方のセンスが必要だと思いますよ。

 

 ――たしかにモーリーさんの自叙伝を拝読すると、東大・バーバード合格というbook smartの面もありながら、学校・教師に疎まれ、両親の不仲に悩まれ、最終的にはハーバードと東大に合格してメデイアに取り上げられると、最後の寄り所のようだったバンド仲間から「お前だけ目立ちすぎている」のような理由で除名されています。ただ自分が好きなことをしているだけなのに、次々と居場所を奪われていくようで、痛切でした。

 

 除名はたしかに衝撃的でしたね。ただアーティストとしてメジャーデビューが決まっていたので、すぐに切り替えることもできましたが。

 

 そのあとハーバードで現代音楽の世界と出逢い、五線譜に乗らない、人間が制御不能なランダムな音楽をありのまま受け取るという手法にしびれました。そういう過程が今の自分の思想的背景になっていると思います。

 

 でも知的体力はなにも僕のような育ち方をしなくても、自分から未知のものに飛び込んでいくことでも得られると思いますよ。中国の旅の話をしましょうか。

 

■シルクロード4000年の夢が覚めた

 

 ――どんな旅だったんですか。

 

 僕はシルクロードに長年憧れていて、98年、35歳のときに初めて訪れることができたんですよ。でもそれが散々でね。

 

 ガイドさんはとにかく絨毯を売りつけようとしてくる。敦煌に到着したらムード音楽がかかって、あるのは絨毯屋と売春宿ばかり。日本人観光客向けのテーマパークみたいな雰囲気でした。

 

 1本電車を逃したら、ガイドさんの家に泊まることになり、「追加利用金が発生します。3000円です」。

 

 ――たまりませんね。

 

 憧れていた世界が「なんだこりゃ」ですね。

 

 偽スターバックスもすごかった。田舎に行けば行くほど、どんどん嘘っこスターバックスの度合いが激しくなっていって、最後は麦茶みたいなものをコーヒーだと言って出すのね。こういうのをずっと繰り返すと、中国に対する4000年の夢が覚めるわけです。

 

 だけど逆にカオス過ぎて、めちゃくちゃ過ぎて面白くなっちゃうんですよ。日本に帰ってくると物足りなくなって、もう1回行っちゃった。

 

■「ブックスマート」だけじゃいけない

 

 知的体力を付けるというのはそういうふうに飛びこんでいくことだと思うんですよ。

 

 中国にも韓国にも行ったことのない人が、ニュースだけとか、ネットだけを見て、中国人は卑怯だとか、韓国人は怒りっぽいとか、いつまで慰安婦を言っているんだとかって言う前に、彼らの奥まで行ったほうが面白いよということです。

 

 これは、前回お話しした記者さんにも言えると思います。

 

 「自分が思い描いていた筋書きと違う」となったときに、そういう体力がないと、ポキッと折れてしまったり、「こんなはずじゃない」と事実の方を歪めてしまったりする事態が起こります。

 

 私のシルクロード旅もそうですが、ほんとに行って、あるがままの声を聴くと、あらかじめ頭にあった筋書きよりも、もっと事情が複雑で入り組んでいるということがある。

 

 自分が思い描いていたものが違ったときに、本来であれば、「そうか、じゃあ、全部1回前提を取り払って、何が起きたのか聞かせてください」というのが正しい取材だったり、コミュニケーションだったりだと思うんです。そこで、「いや、おかしい。私が思ったとおりになんでならないんだろう」と、自分のほうである種のパニックに陥って、認識そのものが歪んでいくということはよくあるんですよね。

 

 これは、陰謀論にハマってしまう人にも言えます。信じているものが違うとなったときに、「全部、嘘だったんだ」とポキッと折れて、陰謀論に向かってしまう。

 

 自分で考える体力があれば、揺れに強くなって、思っていたのと全然違うけど、そこの意外さに面白さがあったよというふうに軌道修正だってできるはずです。

 

 ネットだけ見ているとブックスマートに偏りがちだから、ちゃんとストリートスマートで、体感することも大事だと思います。

 

 

この方の前編引用

 

https://president.jp/articles/-/64953

↑のURLから見れましたら

本家を見たほうがいいです、そのうちヤフーなので消されてしまうと思い、ここに記載しましたので

 

「僕はみんなが思うような成功事例ではない」モーリー・ロバートソンがツイート42連投で伝えたかったこと

 

きっかけはある取材で感じた「決めつけだった」

 

《このところ縁あって高校卒業までの時期について取材を受けるインタビューが相次いでいます。おそらく日本の多様性が進む中でヒントを見つけようという取材意図があると思います。ここである問題が頻繁に起こります。》

 

《一つのパターンとして「日本は多様性が遅れている社会で、差別だらけだ。欧米に遅れている。直さなくてはいけない。モーリーさん、どう差別されたのか、どう直せばいいのかを教えて」という組み立てです。このフレームワークには正直言って、辟易しております(後略)》

 

今年9月26日、ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんの一連のツイートが大きな話題になった。それは自分の経歴への取材が、ある種のフレームワークにとらわれたものばかり、という嘆きから始まった。スレッドに続けられたモーリーさんの連投はなんと42に及んだにもかかわらず、最初のツイートはリツイートが1.1万件、「いいね」が4.6万件も付けられた。

 

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モーリーさんはなぜあのツイートをしたのか、その反響は……。

 

そこにあるのは、日本社会に根深く存在する意識だった。

 

――唐突なツイートでした。なにがモーリーさんを動かしたのでしょうか。

 

その直前に、あるメディアの記者から、自分の経歴に関する取材を受けたからです。その中で自分の中にたまりに溜まったものを吐き出したくなって、ついあのようなツイートになりました。

 

ただ勘違いしてほしくないのは、私は記者本人や日本のメディアを批判したいわけではないことです。その記者の質問を通じて、私は日本社会全体に長く横たわるある種のアジェンダ、決めつけを感じました。

 

というのは、その記者の質問は私が30年前に受けた取材と全く同じだったんですよ。

 

ここでモーリーさんの略歴を紹介する。
1963年、ニューヨーク生まれ。父親は原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究員である米国人、母親は新聞記者をしていた日本人。

 

68年、父親の転勤のため広島県に移住。当初はインターナショナル・スクールに通っていたが、地元の公立小学校に転校。その後、広島の名門私立中高一貫校に合格。

 

76~77年、転勤のためアメリカに在住。

 

78~79年、広島に戻り、前の私立高に復学。しかしアメリカと日本の文化の違いから来る行動に、学校側から「風紀を乱す存在」とされる。高校2年夏に自主退学。父母が不仲になり、母親の郷里でもある富山県の公立高校に転校。

 

80年ニューウェーブ系音楽にはまり、友人たちとバンドを結成。また学校から「不良」認定される。

 

81年、「不良が東大に受かったら面白いんじゃないか」というノリでハーバード大学と東京大学を受験し、合格。「東大とハーバードに合格した天才」としてもはやされる。レコード会社からも声がかかり、メジャーデビューを果たす。東大は1学期通っただけで退学し、ハーバード大に入学する。

 

 

 

「なぜ日本の学校なんかを」という質問がつらかった

 

――「東大とハーバードに同時合格」という部分だけピックアップすればエリート然としていますが、複雑な青年期を過ごされていますね。

 

まだ戦争の記憶が残る広島県で暮らしていて、子どものころから微妙な立場でした。子ども同士の喧嘩でも、「原爆落としたくせに」とか言われるし、私が言い返すと、「わしのおじいさんが被爆したのに何を言うんじゃ」って泣き出す子もいました。

 

一方で、アメリカン・スクールの職員たちは日本と日本人を下に見ることを隠さなかった。でも「仮面ライダー」とかマンガ文化にどっぷりつかっていた私からすれば、反発しかないわけですよ。それでとうとう「スクール内で日本語は禁止」というお触れが出たのをきっかけに、地元の公立小学校に転校しました。

 

このあと、広島の私立中学校を受験するのですが、それを、ある種の先入観からくる紋切り型の質問を繰り返されて、つらかったですよ。

 

――どんな質問だったのでしょうか。

 

一番引っかかったのは、「なんでわざわざ日本で中学受験なんかしたのか」でした。

 

 

 

記者からみれば、熾烈な日本の受験競争に飛び込むアメリカ人はよほどの物好きに見えたのでしょう。「アメリカの学校はのびのび、日本は熾烈」という簡単な二元論のフレームワークの中で、「アメリカが上」という思い込みがある。

 

さらに言えば、「アメリカは多様性を容認、日本は画一的」「アメリカはのびのびとした教育、日本は詰め込み」「アメリカの教育は想像力を伸ばす、日本は歯車を作るだけ」といった単純な「アメリカにまだまだ追いつけない日本」も含まれていた気がします。

 

つまりその記者の中には「日本の教育はなっとらん、アメリカを見習え」みたいなアジェンダがあって、僕を利用して自分の思想をそこに書き込みたかったんでしょうね。そういうのはその記者だけに限らないんですけれど。

 

私立中学に入ったあと、父の仕事の都合でアメリカに戻ることになりました。ところが、1978年、僕が住んでいた地域で、公務員の給与カットされるということがあって。その影響で、公立高校の教師たちが一斉にストライキを起こしたんですね。数カ月間混乱が続いてとても勉強どころではなかった。

 

そこで両親を説得して、高校1年生の2学期からまた広島に戻りました。すると今度は、国の文化があまりにも違ったせいで、「みんなの勉強を邪魔して不純異性交遊をするヤツ」というレッテルを貼られてしまいました。

 

仕方がないので退学して、母親の地元、富山の高校に行くのですが、そこでも問題児扱い。当時のバンド仲間の間で、「不良が東大に受かったらおもしろいのでは」と盛り上がり、ノリで受験勉強を始めました。

 

普通に子どもとして生活していても、複雑な状況に巻き込まれてしまう。それに対してやや積極的に打ち返していった結果が、東大やハーバードの受験につながっていくわけです。複雑な環境の中で揉まれてストリートファイトを重ねていくうちに、強い子になっていったわけ。

 

それと伝えたかったのですが、ただこのツイート42連投には「後日談」があるんです

 

 

 

 

「感動的な900万」と「憎しみの741万」

 

――どういうことでしょうか。

 

このツイートのインプレッションは900万を超えています。これは皆さんに肯定的な評価としてシェアしていただいたというふうに理解しています。

 

それと真反対の反応が来たのが、10月16日のツイートでした。

 

《土浦駅でアイスコーヒーを買ったところ、紙ストローが付いてきました。意識が高い。応援します!目指せ海洋プラスチック・ゼロ!コーヒーもおいしいです。ありがとうございました!》

 

そもそもこのツイートには謎かけのような二面性があります。それは紙ストローをプラスチック容器にさしているという矛盾です。

 

「紙ストローを使おう」という社会の流れは気にしているのだけど、根本的に環境問題を捉えるところまではいっていないので、プラスチックの容器のままになっている。SDGsの中身を理解しないで、外側だけ真似しているのではないか、ということを示唆したかったんですよ。

 

ところがそれがいつのまにネトウヨの人たちの間で、「日本人に指図をするな」という大きなうねりになってしまいまして。

 

「こんなもんで意識が高いつもりになっているのはほんとに低脳」「それでもハーバードと東大を出たのか」「日本から出ていけ。死ねや」みたいなレスポンスがたくさん来ました。

 

インプレッションが741万。感動的な40ツイートで900万行ったけど、憎しみの741万も早かったね、みたいな。今でも1日に1回は、憤ったレスポンスを送ってくる人が絶えません。他のネトウヨたちのレスだけを見て、最初からエスカレートした状態で「日本から出て行け」とくる。
ネット世界と現実世界とでペルソナが違う

 

――思わぬ所に火を付けられて、集中的に煽りをくらうというのは現代日本の特徴のような気がします。

 

排外主義やポピュリズムは今に始まったことではありません。

 

新聞というメディアが始まった今から100年前の1920年代から、日系移民と中国人をこれ以上増やすとアメリカ社会が堕落するという記事を、さんざん新聞が書いていました。黄禍論ですね。それを政治家が引用し、政治家が言ったといって、また新聞記事を書くという。

 

――今の時代は、それがSNSで簡単に広がる気がします。

 

そうですね。SNS化することで、だいぶ変質が起きていると思います。

 

根幹にあるのは、決めつけと思い込みと、ある種の快楽原則かな。たとえば、「朝鮮人を日本から叩き出したら日本がきれいになる」というような。そのことを2ちゃんねるでは「除鮮」といってですね、放射能の除染と朝鮮の鮮をかけて、「除鮮」というスラング。差別スラングなんだけど。

 

――怖い言葉ですね。

 

ただ、そういう言葉が出てくる背景には、「なーんちゃって、本気なわけないじゃないか」っていうウインクが入っているんですよ。面と向かって、リアルライフで「そこにいる朝鮮人、出ていけ」なんていうことは絶対言わない。

 

ネット上では「弱肉強食、ジジイもババアも早く死んでしまえ。そのほうが社会保障の圧迫も少なくなる」みたいな、全体主義、優生主義的な発言をするのに、人として会うとすごく普通。むしろ階段を上がるおばあちゃんを誰かが助けてあげると、それを見て感動するような「良い人」だったりするのね。

 

ネット世界と現実世界でペルソナが違うわけです

 

 

 

 

 

100年前は言葉と行動が一致していた

 

ところが黄禍論のときは、新聞を読んで、ほんとだよなって村の人たちが思うと、「よし、棍棒を取ってジャップをやっつけに行く」って実際になるんですよ。現代は戦後教育で全体主義や優生主義はいかんというのをさんざん一般の日本人はしみ込まされているので、オンラインでは言うんですけど、たとえば辺野古で座り込みをしている高齢者の方のところに行って、「この、左翼にたぶらかされた老いぼれめ」って言う人はまずいないですよね。

 

昔だったらそれをやっていたんですよ。「叩き出せ」と言って、家からほんとに家財道具をね、「こういう民族は町から出ていけ」ってやっていたから、だいぶ違うんですよ。

 

だから原型は黄禍論のようなところにあって、そのモチーフや素材が使われているけれども、ほとんどの人たちは、いわゆるヘイトを面と向かって口にしたり、わざわざ行動を起こしたりするぐらいの気合いは入っていないんです。

 

インタビューに応じるモーリー・ロバートソンさん

 

一線を越えるネット民たち

 

――「ヘイト」といえば、今年4月、京都府宇治市のウトロ地区で放火事件がありました。これは「ネットの声」が現実の行動になったケースではないでしょうか。

 

これは量的な問題だと思います。ネットユーザーが増えたことによって、裾野が広がっているということですね。

 

祭りも、規模が拡大して、一定のレベルを超えると、おみこしに飛び乗る輩が出てきたり、ただ喧嘩しに来たりする人たちが集まったりしますよね。

 

これと同じで、規模が拡大した結果、「本気でヘイトじゃないよ。言っているだけだから。みんなそれはわかっているよね」というネット世界のマナーの一線を越えて、本気で行動に移す人たちが出てくる。さらに、目立つからいいという、自己の承認欲求なんかも入ってくる。

 

アメリカの銃乱射事件では、(ネットの掲示板である)4チャンネルで犯行予告をしたり、乱射している模様を動画で配信したりしています。劇場型憎悪犯罪というのか……。

 

大衆に大量の情報を伝達する、いわゆる「マスコミュニケーション」が、ソーシャルメディアに広がった結果出てきた、2次的な現象ととらえることができるのではないでしょうか。